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萩・山口

11 8月
 
2010.8.1 萩・山口
  
 前回の津和野行、ナゴヤのおもろい人達と萩の話をして以来、無性に萩に行きたくなった。
 思いついたら即実行! これこそが松陰先生が実践した生き方だ・・??
周防大島に向う車の中で「萩行き」を決定! 夏の日は長い、陽のある内には萩に着けるだろう。
  
萩城城下町・菊屋横丁
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萩城城下町にある菊屋横丁、高杉晋作の生家がある。
この場所に立つのは何年ぶりで何回目だろうか、路地の向こうから晋作が歩いて来るような気がする。
 

 2010.8.1 13:00 和佐を出発
 
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萩へのルート:
07:30廿日市出発~13:00大島和佐を出発
和佐~(国道437)~玖珂~(山陽道)~防府東~(国道262、一部分国道9号)~萩16:00頃着
 


歴史の道・萩往還
 
防府から萩への国道262号線はかっての萩往還を踏襲している。 ところどころに旧萩往還の道がある。
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この道を、松陰も、晋作も、久坂も、桂も・・竜馬も・・駆け抜けたに違いない。


山口県萩市 

 
萩に着いた時にはもう4時を過ぎていた。まずは指月城(萩城跡)・・と思ったが、
今日は花火大会があるらしく、海岸方面は大渋滞で駐車もままならない。
 
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快晴とはいえ陽はかなり傾いてきた ・・で、指月城はあきらめ、高杉晋作生家のある菊屋横丁に向かった。

萩市・菊屋横丁

  ともし火の影細く見る今宵かな       高杉晋作
 
元治元年(1864)7月、禁門の変が起こり長州は敗北、藩では幕府に恭順しようとする俗論派が政権を握る。
10月、藩の縛吏の動きを察知した晋作は九州への脱出を図る。
その途中、徳山の奇兵隊頓所に山県狂介を訪ねる。 晋作は山県と会談後、この句を残し立ち去った。
 
 高杉晋作生家   

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4:28 :人だかりがあるのですぐ分かる。あそこが晋作の家だ。  4:35 :逆光が強くなってきた~
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この家は晋作の父(高杉小忠太)の屋敷で当時は500坪の敷地があった。 井戸は当時のもの。
 
今から長州男児の肝っ玉をお見せします       高杉晋作
 
九州に潜伏していた晋作は俗論派の独断専横の報に接し決起を決意する。
元治元年11月、長州に帰った晋作は奇兵隊に決起を促すが不調に終わる。
12月27日深夜、功山寺に五卿を訪ね決起の挨拶を行う。 この後、遊撃軍と力士隊を率いて出陣する。
この決起により流れは一変し、長州藩では再び倒幕派が実権を握り、幕末の動乱へとなだれ込んでいった。
 


野山獄・岩倉獄跡
 
長州藩の獄跡、野山獄には松陰も晋作も投獄された。
野山獄と岩倉獄跡、道を隔てて向かい合っている。(現在の獄跡は一部分のみ)
 
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野山獄跡(説明碑文)
正保2年(1645)9月17日夜、藩士岩倉孫兵衛は酒に酔って道を隔てた西隣の藩士野山六右衛門の家に切り込み、家族を殺傷した。この事件のため、岩倉は死刑となり、両家とも取りつぶされ、屋敷は藩の獄になった。
野山獄は上牢として士分の者の収容を、岩倉獄は下牢として庶民を収容した。
 
幕末、吉田松陰は海外渡航に失敗したのち野山獄に、その従者金子重輔は岩倉獄に投ぜられた。
松陰はここで仲間の囚人を教化するという前例のない教育活動を行っている。


久坂玄端生家跡 (平安古町・ひやこまち)
 

久坂と晋作は少年時代、共に平安古町の私塾で学んだ仲で、晋作は久坂の紹介で松陰門下となった。
松陰の死後、久坂は長州藩の尊攘派のリーダーとして奔走し、蛤御門の変で壮絶な最期を遂げた。
草莽志士糾合義挙のほかにはとても策これ無き事      久坂玄瑞
 
1862年、竜馬は萩を訪れた際に玄瑞と談合し、武市への手紙を託されて帰国。 その1ヶ月後に土佐藩を脱藩する。「草莽・・」はその手紙に書かれた言葉。 松陰~久坂の考え方が竜馬の脱藩に影響を与えたといわれている。

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久坂玄瑞(説明碑文)
幕末の志士。この地に出生。明倫館に入り、のち医学館で学ぶが、医業を好まず吉田松陰に学んで高杉晋作と共に松下村塾の双璧と称された。長井雅楽の航海遠略策に反対し、藩論を尊攘倒幕に一変させ、攘夷督促勅使東下の奏上に奔走、 英国公使館の焼打に下関の外国船砲撃に参加した。元治元年(1864年)蛤御門の変に敗れ、鷹司邸内で自刃した。享年25才。

萩市松本(松陰神社、杉家旧宅、松下村塾)

松陰神社

最後に訪れた松陰神社、ここには松下村塾がある。何とか陽が沈む前に・・と焦ったが間に合った。

親思う心にまさる親心 けふのおとずれ何ときくらん     吉田松陰

この歌は松陰が家族にあてた辞世、もう一つ門下生にあてた「留魂録」にも有名な辞世がある。

身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂

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松陰神社(萩市HP)

吉田松陰を祭神とする神社で、明治23年(1890)に松陰の実家杉家の邸宅内に土蔵造りの小祠を建て、
その中に祭神生前愛用の赤間硯を御霊代として祀ったのを始まりとする。


杉家旧宅
吉田松陰は毛利藩士杉家の次男として生まれ、6才の時吉田家の家督を継いだ。
ここは父、杉百合之助の旧宅(松陰の生家ではない)。
 
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吉田松陰幽囚の旧宅(説明碑文)
この旧宅は、安政2年(1855年)から数年の間、吉田松陰が幽囚された家で、東側にある3畳半の1室が幽囚室である。松陰は、伊豆下田で海外渡航に失敗し、江戸伝馬町の牢に捕えられた。次いで萩に送られ、野山獄に入れられたが、釈放され父杉百合之助預けとなり、幽囚室に謹慎し読書と著述に専念した。
そして松下村塾で講義を始める。
松下村塾
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僕は忠義をする積り、諸友は功業をなす積り       吉田松陰
松陰が老中暗殺計画に反対した久坂や高杉に言った言葉。
松陰の過激さには、久坂も、晋作も、桂も、ついていけなかった。
松陰の過激さに恐れをなした長州藩は再び野山獄に幽囚する。(松陰の身を案じての処置だった)
 
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松陰とその弟子たちの肖像。 維新の礎となり散った3傑(松陰、晋作、久坂)。 
 

 
萩市大屋・涙松
涙松
松陰は安政の大獄で杉家~野山獄幽囚の身から江戸送りとなった。
そして江戸での詮議中、自ら進んで老中暗殺計画を告白し死罪となった
かえらじと思いさだめし旅なれば ひとしほぬるる涙松かな     吉田松陰
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どの方向からレンズを向けても・・傾いた陽の逆光が強~い!

涙松(萩市HP)
江戸時代、萩城下から山口へ通じる藩主御成街道は、萩市大屋から左へ折れるので、城下が見えるのもここが最後となります。 松並木の間に見え隠れする萩を見返り、別れの涙を流すというので、ここの街道並木を「涙松」と呼んでいます。


山口市

萩では指月城に行けなかったが、一応満足したし後は帰るだけ、
ゆっくり走ろう・・
と思っていたら、 ザビエルと五重塔にも寄ってよ~ って、もう夜ぜよ・
 

ザビエル聖堂

もう7時になっていたが、なんとかまだぎりぎりセーフのようだ。

ザビエル聖堂は昭和27年にザビエル来日400年を記念して建てられたが平成3年に焼失、その後再建された。

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7:00:あれっ、塔はあそこだ、行き過ぎたか? そうだ、これじゃ、この建物!思いだした!8年ぶりに来た。

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鬼ゆり・・どっかで見たね~


瑠璃光寺・五重の塔

もうひとつ・・五重塔~ ザビエルから5分の距離だが、いよいよ薄暮になってきた。

それにしても、これはみごとな五重塔だ!・・初めてではないはずだが?・・やっぱり初めてにちがいない。

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これはもっと早い時間に来るべきだった。。と大後悔、薄暮の逆光が強すぎて写真にならない。

ここには司馬遼太郎も訪れて感動したらしい。 記念碑が建っている。

司馬遼太郎、街道をゆく 記念碑
長州は、いい塔をもっていると、惚れぼれするおもいであった。                       
長州人の優しさというものは、山口に八街九陌をつくった大内弘世や、            
ザビエルを保護した義隆などの大内文化を知らねばわからないような気もする。
(街道をゆく 原文より)

国宝・瑠璃光寺五重塔(おいでませ山口HPより) 
この五重塔は、応永6年(1399)の応永の乱で命を落とした大内義弘の菩提を弔うために、
弟の盛見が建立を計画、嘉吉2年(1442)に完成したといわれています。塔は方三間、高さは31.2mで、大体和様式、屋根は桧皮葺です。室町時代中期におけるすぐれた建築の一つであるとともに、大内文化の最高傑作であり、日本三名塔の一つにも数えられています。


2010.8.7 廿日市市・我が町内会の盆踊り大会

会場警備をしながら??撮った初花火

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なんか納涼!っていうより、暑苦しいようで・・どうも・・

廿日市あたりの盆踊り風景
     

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18件のコメント

投稿者: : 2010年8月11日 投稿先 萩・山口, 旅行

 

萩・山口」への18件のフィードバック

  1. 照れまん

    2010年8月12日 at 2:54 AM

    小太郎さん こんにちはー大内人形のような Naoチャングムと 萩往還維新の旅 ですか、いいですね。うらやましい!!    もしもし、なんですか? 大内人形 って丸っこいって・・・・・・、こりゃあ失礼致しました。大内美人のNaoチャングムに 訂正させていただきます。私は てっきり フラメンコを踊っているのが Naoチャングムかと思い どの人か探してしまいましたよ!!歴史好きの者にとっては 中々素晴しい記事になっているのではないですか。力が 入ってますね。ゆっくりと 読ませてもらいました。萩には 行ったことが無いので、しっかりと見せてもらいました。そういうことで、 ホームラン温度? ホームラン音戸??  ホームラン音頭 初めて聞きました。また、見にやってきま~~す。

     
  2. fujim

    2010年8月12日 at 8:54 AM

    小五郎さん こんにちはー  おっと違った 小太郎さんだった!萩の話がこんなに詳しく書いてあるのに、 木戸孝允の名前が出てこない。 木戸孝允の屋敷には行ったことがあり、 名前はよく知ってるんだけど、何をした人だったっけ? と思ってググってみたらなんと!桂小五郎さんのことですか!?  うーん、萩には何度も行ってますが歴史に疎いですからネェ・・・ 見ても聞いても端から抜けてるので、 私が書くと、 こんなに興味深い記事にはなりません。  親しみ深く読みました。維新の礎となり散った3傑を、 あの窓から覗いて撮ったんですね^^!前に何度か留学生を連れて県内を廻っていますが、 大抵は萩、秋吉台、瑠璃光寺です。松下村塾だったか柱に漢文がかかれていたりするので、 中国の留学生にはとても興味深いようです。 瑠璃光寺には御開帳?の時にも行って、中を見ました。 中央に立ててある柱は、下からあの上に見えてるところまでの一本柱だと言うことで、すごいと思って覚えています。えーっと またまた盛りだくさんですね、、、 この辺で終っとこう・・・・

     
  3. 小太郎

    2010年8月12日 at 10:35 AM

    照れまんさん こんにちはー丸っこい大内人形!うまいね~私は口が裂けても言えんけど、照れまんならいくら言ってもOKなので、どんどんカマシテやって下さい。ほんで、松下村塾の向こう側に大内人形が日傘を差して歩いているでしょう。分かった?・・写真をupするときに、ありゃりゃ写っとるわい・・でした。萩の記事は力が入るというか、難しいね~ 照れまんの苦労が良く分かった。何となく・・だけど。。ほんでも歴史に興味が無ければフーンってなもんでしょうね。フラメンコは私も初めて見ました。まー踊りは良く分からんけど、後ろで歌ってる女性(先生)とギターは上手かったね~

     
  4. 小太郎

    2010年8月12日 at 10:35 AM

    fujimさん こんにちはー萩もfujimさんの庭のうちでしょうね。 ほんでも歴史に興味が無ければ、行っても何もない所かも・・ですけど、最近は”歴女ブーム”だとか、、女性の二人連れとか、結構、女性の観光客が目につきました。桂小五郎、木戸孝允ですか・・桂もすごい活躍をした男ですね。維新の礎となり散った3傑・・と表現しましたが、実はあの3人以外はあまり興味がないんです。怒られるかな~あの3傑は25~30才で死んだ。 桂や伊藤は明治政府の重鎮になったけど・・ 何というか、ジェームスディーンとか、赤城圭一郎とかの感じですかね~まー単に、ミーハーということかも知れませんね。。瑠璃光寺の五重塔はいいですね~ 今度はもっと日が高い時に行ってみようと思います。

     
  5. 小太郎

    2010年8月13日 at 9:12 AM

    照れまんさん臨時ニュース、臨時ニュースを申し上げます。先程、廿日市観光協会より電話があり、蛇の池の亀の写真がなんと「入選」したそうであります。な~んじゃ~大賞じゃないんか・・などとはぜ~んぜん思いません。詳しいことはよく分かりませんが、「来週以降にお越しください」と言うんだからホンマでしょうね~というわけで、いよいよ私も写真家の仲間入りということで・・・ えっ、もしもし、何、20年早いってか?こりゃまたどうもスンマセン・・せめて10年にしてくれん?以上、大本営発表、臨時ニュースでした。

     
  6. 照れまん

    2010年8月13日 at 9:30 AM

    こんにちはーやっぱり  「年の功より 亀の甲 じゃね!!」なかなか いい写真じゃったよね。一瞬見た時、オオオ~ッ と思ったからね。インパクト あったよね~~~!金一封 出るんかねえ?? 無いのかなあ??君の睡蓮の花を見て 作った句があるんじゃがねえ、自分の中で 没にした句を披露しよう。       睡蓮の眠りは早き廿日市     照れまんこの句には、もう一句 つづきがあってねえ、・・・・。        睡蓮の目覚めは早き五日市     照れまん結局、どうしようもない句じゃけエねえ・・・・、没にしたよ。俳句は、なかなかできんかったけえねえ、昔 童恋さんにボロカスに言われた句を書き直して 投句しておいた。その句・・・。        睡蓮やモネの池めく雨上がり     照れまんじゃ、また・・・・・。

     
  7. Pu'uwai

    2010年8月13日 at 1:46 PM

    小太郎さん 入選おめでとうございます。 亀の功じゃね。。。。。亀の甲  亀の甲なら最高の三味線撥になるけどね。これで立派に、 アマチュア写真家  後塵から一気に先頭ですね。吉田松陰は水戸にも1ヶ月滞在して、水戸学の精神を学んだそうですよ。当時、水戸学は幕末をリードする総合大学のようなものだったらしくて、攘夷論にも開国論にもその思想の元となったそうです。歴史、 まるで駄目なんだけどサクラだもん書こうと調べてるうちに訳が解らなくなってしまった。 薀蓄 含蓄 まるで駄目だから10月16日の封切りまでに間に合うかなぁ~?

     
  8. Pu'uwai

    2010年8月13日 at 2:02 PM

    フラメンコ見てたら、さらに激しいアフリカンダンスの動画を撮っていたこと思い出した。いつか編集しよう。フラメンコはジプシーの踊りですね。旅から旅へ、旅を暮らしの場とした流浪の民が踊りで生計を立てていたから辛い境遇も踊りで昇華させるそういう激しさと怒りが伝わってくるでしょう。 スペインの人はギターが上手いですね。

     
  9. Pu'uwai

    2010年8月13日 at 2:14 PM

    付け加えると、当然喜びも踊りに入ってます。私の知っている日本人と結婚したスペイン人のマダムは屋外で夜中までギターを掻き鳴らしてパーティをするので顰蹙をかってました。 誰でも飛び入り歓迎なのですが勇気がいる。 大抵見て見ぬふりをしてたので日本人の真意は分りづらいとこぼしてました。

     
  10. 照れまん

    2010年8月14日 at 12:15 AM

    Pu’uwaiさん こんにちはー小太郎さんが 第一コーナー から第二コーナー を曲がり、バックストレッチに掛かった所で、一気に まくってきましたね。♪~   走れー走れー 小太郎さん、 本命 穴馬 かきわけて~。走っしれ 走っしれ 走っしれ 走っしれ 走っしれ 小太郎~~~!!もしもし、もしも~~し。そういえば、 Pu’uwaiさんにお礼を言うのが遅くなってしまいました。自分の俳句の 評論を読んだのは 久しぶりでした。よく、こんなものを探したもんだと 感嘆いたしております。ありがとう!!小太郎さん 今日はいよいよ 宮島の花火大会ですか。海の中から噴水みたいに沸きあがる花火は 圧巻ですよ。と言っても、私は ニュースとか写真でしか見たことは無いのですが。そういうことで、また・・・・。

     
  11. fujim

    2010年8月15日 at 7:12 AM

    小太郎さん こんにちはー  興味はあるけど歴史に疎いfujimです。いくら見ても聞いてもなかなか実感として捉えられない・・・・  時代物映画でも見て洗脳すればいいですかねぇ・・・再建後のザビエル聖堂にパイプオルガンの演奏を聴きに行ったことがあります。向かいの小高いところに鐘が吊るされていて、 自由に撞いてもよかったような・・・近代的な建物になってしまって、やはり前の方がよかった・・・と思っていたのですが、 今では見慣れてしまって、前の姿は、えーっと思い出せない。。。><状態です。あの亀と睡蓮が 「入選」 したんですね!  な~んじゃ~、ほんなら大賞っちゅう写真をみて見たいモンジャ! と思ったでしょう^^。亀の見下ろす、まろき地球がよかったか、 どこまでも続く睡蓮がよかったか・・・・・それに加えて、 あの写真一枚を見て、あれだけも俳句が浮かんでくるあの御人も、 亀の甲より年の功、 オドロキですねぇた。   ・・・

     
  12. fujim

    2010年8月15日 at 7:14 AM

    ・・・まずはその栄誉を讃え、 山口県からの副賞 「瑠璃光寺・五重の塔の一般公開」 9月18日(土)~26日(日)まで、9時~4時まで を 謹んで進呈いたします。1階部分の扉が開けられるので、安置されている阿弥陀様や、 上まで貫いている心柱を、外からですけど見ることができますよ。ただそれだけと言えばそれだけですけどね^^。  それに21日なら ふじfujim に会えるかもしれないという豪華おまけ付き!そんなおまけはイラ~ン!  あらそう、へじゃそれは止めときます。 大島でのお盆はいかがでしたか。  花火はばっちり撮れましたか?

     
  13. 小太郎

    2010年8月15日 at 1:53 PM

    Pu’uwaiさん こんにちはー”後塵から一気に・・・”って、すんません、こらえてくださいよ~ 冗談でも、おこがましすぎます。たまたま亀が木に登っていたところに遭遇した・・というだけですからね~ほんでもまー、応募しても何の音沙汰もないよりはいいですけどね。。あの写真なら、こんな評価なんだ。。ということで・・松陰と水戸・・そうでしたか。実は、いかにも歴史に詳しいような記事を書いてしまって、ちょっと後悔していますねん。。桜田門外・・も調べりゃそうだったのか・・くらいなもので、どうにもです。フラメンコは初めて見ました。盆踊りの会場で紅白の垂れ幕?の舞台で踊るフラメンコ?って少し違和感がありましたが、なかなか見入ってしまいました。フラメンコはジプシーの踊り・・ですか、なーるほど~それで、悲愴さと哀愁があるような。Pu’uwaiさんは、フラメンコ踊れそうですよね~ 蔵を見たらそんな雰囲気がします。。

     
  14. 小太郎

    2010年8月15日 at 2:42 PM

    fujimさん こんにちはー再建後のザビエル聖堂には来たことがあるんですが、どんな建物だったか、まるで思い出しませんでした。それが、建物の正面に立つと、まざまざと思い出すから不思議ですよね~ほんでも、確かに綺麗だけど、普通の協会のような気がするのは私だけでしょうかね~??やっぱり、火災で焼失したのは痛手だったのではと、しみじみ思います。それで、私は旧ザビエル聖堂というのは、てっきりザビエルの時代に建てられたものと思ってました。アホですよね~ったく。それと、旧ザビエル聖堂は外観がステンドグラスで美しかったと思っていましたが、これもまた記憶違いでした。向かいのザビエル公園には鐘が吊るされていました。自由に撞いてもいいようです。

     
  15. 小太郎

    2010年8月15日 at 2:43 PM

    つづき・・亀の写真、やっぱ応募してみるもんですね~ 宝くじと一緒です。(買わにゃー当たらない。)ほんでも、よー分からんのが応募方法で、(デジカメの場合はA4用紙)でした。デジカメじゃなかったらどうだったか知りませんが、ネガですかね?山口県からの副賞、どうもありがとう・・って、こらえてくださいよー・・・とほほ。。五重の塔の一般公開ですか~ 21日にお出かけですか?今からスケジュールが決まってるとは凄い。。。

     
  16. 小太郎

    2010年8月16日 at 11:35 AM

    除照れまんさん どうもでーす。村の盆踊り、今年は初盆なので、少しだけ踊りましたよ~炭坑節!それからご住職の奥さんも踊られていましたね~これも確かそうだったと・・ほんで花火も撮りました。あっ、fujimさん撮りましたよ~puさんのIXY・・のとおり、花火モードにして・・ やっぱ少しは違いましたね~ またお見せしましょう!ほんで、君の所へ持っていこうかと思いましたが、さすがに夜遅いので遠慮しました・・それから、yoshiboと会って話をしましたが、同窓会40人集まって盛況だったようです。ほんで、、やっぱ彼も棺桶・・は覚えてるが串田・・名前まで覚えてなかった。記憶のレベルは私とsameで・・やっぱ君が異常??もとい・・スゴイ。。ほんで、今夜帰ってみるとびっくり、13日には何にもなかった花が咲いていた。あの・・・チェリーピンクが2輪!一晩で咲くんかね~ほんで君の蝶々もすごいじゃん!山本氏もびっくりじゃないの??ほんじゃ また明日

     
  17. 猫と薔薇と私と

    2010年8月16日 at 1:30 PM

    あらぁ 盆踊りというか晩おどりというか・・・。 昔 お盆が来たら 夜は涼しくなかった? 虫の音もしてて。今や 夜中過ぎても蝉の声ですよ。実家に帰ったらさすがに 夜は涼しかったですけどね 三木は駄目やわ。 しかし 花が咲くのが早いこと早いこと 昨日蕾だったのに今日は咲いてて 夕方には終わりかかってるんだもの。風情どころじゃないですね。 それにしても 所変われば曲変わる「ホームラン音頭」ですか・・・ 三木音頭とかわらへんなぁ・・・ で なんですか都はるみですか?近所の保育園の盆踊りででいつもかかってましたよ。 実家ではよくわからない曲「サントコ節」です。かけ声が「サントコドッコイ エッサッサァ~」で 子供の頃笑い転げたものです。踊った記憶がない・・・ たいがい同級生とおしゃべりしてたか家ですいか食べてたはずです。 踊っておけばよかったなぁと 今になって思います。

     
  18. 小太郎

    2010年8月17日 at 9:56 AM

    猫と薔薇さん こんにちはー暑い日が続きますね・・三木の方は特に暑そうですね~~廿日市の盆踊り、このあたりは昔からの町じゃなく、新興住宅地ですから、、まーイベントというか祭りですかね。「ホームラン音頭」は毎年かかっています。あとは広島音頭に廿日市音頭、炭鉱節も流れてましたね。。三木音頭?・・全国どこの町にも○○音頭ってあるんでしょうかね~?もちろん周防大島にも大島音頭があります。「サントコ節」は初めてききますが、ご実家のほうの由緒ある踊りなんでしょうね。笑い転げるほどユニークなんでしょうか? ドジョウすくいみたいな踊りですかね~一度見てみたいものです。。

     

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