呉・大和ミュージアム

 2010.9.12 呉・大和ミュージアム

 

 呉市は広島市の東隣の街で、広島県では福山市に次ぎ3位の人口(25万人)を抱える。
呉といえば「仁義なき戦い」の舞台となった街、そして明治以来、戦時中まで日本帝国海軍の拠点だった街。

廿日市から呉はそんなに遠くはないのだが、間にある広島市街の雑踏・渋滞を抜けなければならない。
それが億劫なので、ドライブの方向は自然と北か西になり、呉の方向(東)にはあまり行ったことがない。

大和ミュージアムがオープンして数年になるが、行こう行こうと思いながら・・今日になってしまった。

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廿日市市~呉市ルート:R2~広島呉道路、44km

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大和ミュージアムの戦艦陸奥

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(大和ミュージアム入口・陸奥展示パネル)

 大和ミュージアムの正面入口の前に戦艦陸奥の引揚品が展示されている。

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41cm主砲身(四番砲塔左砲)、主錨、スクリュー、主舵 ・・

どれもピカピカに磨かれて、主砲などはとてつもなく大きい!

これでは陸奥記念館あたりでは収まりきれないか?実物なのだがあまりにきれいすぎて模型に見えてくる。

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周防大島・陸奥公園の陸奥引揚品

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陸奥が眠る海を見渡す陸奥公園、やはりこの場所のスクリューや副砲がいい・・

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大和ミュージアム隣接の施設

大和ミュージアムのそばには現役を退いてはいるが、本物の潜水艦と深海調査船が展示されている。

潜水調査船「しんかい」

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1968年に竣工、最大潜航深度は600メートル—>潜水調査船「しんかい」  

潜水艦「あきしお」・てつのくじら館

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07-1:潜水艦「あきしお」・てつのくじら館 07-2:てつのくじら館 07-3:あきしおの艦内

てつのくじら館

何と言っても、実物の潜水艦の中に入れるとは感激もの。さすがに海上自衛隊、これで入場料無料とはすごい!てつのくじら館も海上自衛隊の歴史を展示した大変興味深いパビリオンだ。

てつのくじら館は昨年fujimさんも見学されています。
いい写真がいっぱいありますので、詳細はそちらにおまかせしま~す。・・・てつの?くじら館

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大和ミュージアム  

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04:大和ミュージアム外観、右に各資料、中に大和1/10モデル、左にゼロ戦が展示されている。
05:大和のイルミネーション模型

大和ミュージアムのシンボル・戦艦大和・10分の1モデル

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11:逆光で私の腕ではこれが精一杯の大和、しかし、これくらいダークの方が臨場感がある。  

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12~14:1F~3Fから見る1/10大和。模型とはいえ、これだけ巨大なプラモデル?は凄い。
海に浮かべてみたくなる。 

懐かしのバタンコ

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昭和初期の呉の町並みだろうか。 このタイプのバタンコはさすがに私も見たことは無い・・と思う。

ゼロ戦(零式艦上戦闘機)

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子供の頃の漫画で夢中になったゼロ戦の実物
(S20年にエンジントラブルで琵琶湖に不時着、その後引揚げられた)

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34:紫電改(展示縮小モデル)・・外観はゼロ戦と同じに見える。

戦慄の特攻兵器・回天と海龍

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41:回天・試作型、特攻により100名以上の若者が散った。(全長9メートル、重量2.5トン)
42:特殊潜航艇「海龍」、特攻兵器だが実戦投入はされていない。(全長:17.2メートル、重量19.3トン)

大和ミュージアムは否応なく戦争に関わってきた軍港としての呉の歴史が詰まっている。 

大和もゼロ戦も回天も・・みんな・・戦うための兵器だったことを思うと・・複雑な気持ちになった。。

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呉の街歩き

呉には昔から何度も来ているのだが、viewスポットや繁華街をゆっくり歩いたことがない。

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51:IHI造船所(かっては海軍工廠だった所) 52:海上自衛隊呉基地
53:潜水艦が2艇見える(52のズームアップ)

歴史の見える丘

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61:正岡子規の句碑 62:旧呉海軍工廠礎石記念塔(大和を建造した呉工廠の遺物)

呉の繁華街・れんが通り

呉の街は私もよく知らないのだが、繁華街と言えば、呉本通り、中通り、れんが通りが有名(?)だ。

呉は肉じゃがの発祥地だそうで、肉じゃがの店と海軍コーヒーを目当てにれんが通りを歩いた。

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71:海軍コーヒーの店
72,73:れんが通り・・肉じゃがは探せなかった。それにしても日曜日にしては閑散として見えたが・・

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2010.9.19 マグロの解体ショー

今日は近くのスーパーが半年記念とかで、まぐろの解体ショーをやっていた。

解体しながら値段を付けて売る。 黒山の人だかりで飛ぶように売れていた。

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91:長崎産の養殖マグロだそうだ。 92:中落ちを取っているところ・・あのトレイの中落ち、800円で買った。

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前田のサイン入り、カープ応援用ユニフォーム

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背番号18はカープのマエケンこと前田健太のサイン。 mionのTシャツのサインは前田智徳 。

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 小太郎懐メロ館

vol.19 あなたが好きだから フォトストーリー

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呉・大和ミュージアム」への20件のフィードバック

  1. Haw小太郎さん こんにちはー戦艦大和の写真が 違っているよ~! と言おうとしたら、  戦艦陸奥 と書いてあった。おうとるがな。こっちの早トチリ じゃった。大和の 10分の1 の模型は 迫力があるジャろう。ところで、正岡子規の 俳句は 何て書いてあるのか おせ~て~??今日のところはこれで、  大島口の戦い  を見たかいねえ。そういうことで、また・・・・・。

  2. 照れまんさん こんにちはー戦艦大和を・・と思いながら、入口になんと陸奥の展示があるのでね~ そういやそうだった、すっかり忘れてましたよ。ほんでついつい陸奥がトップにきてしもた。。やっぱ陸奥の方が愛着があるのかね。戦艦大和のモデルは確かに立派だが、やはり明るいところで近くに寄って見ると・・大きなプラモデルでした。当たり前なんだけどね・・正岡子規の句碑は 「軍港 呉かあらぬ 春の裾山 灯をともす」 くわしくは下のリンクで・・http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:_fu515bfHUAJ:www.kurenavi.jp/html/m000050.html+%E6%AD%A3%E5%B2%A1%E5%AD%90%E8%A6%8F%E3%81%AE%E5%8F%A5%E7%A2%91%E3%80%80%E5%91%89&cd=5&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

  3. つづき・・龍馬伝、そういうから10時からのBSを見ました。 やっぱ悪いけど私はパスですわ・・あの岩崎弥太郎の役者、正岡子規役だった歌舞伎の・・彼は嫌いじゃないけど、NHKドラマといえば必ず彼じゃない?まー分かるけど、三菱財閥にも興味は無いし、あのナレーションはうるさいぜよ。。ほんでもお龍役の子はいいんじゃない?あと、大島口の戦いの場面は5秒ほどじゃったよ<> あれで大島の戦いは終わりでしょうね・・ほんで晋作のセリフ聞いた?? 「大島は捨ててもええ!」 ・・・ ホンマかもしれんが・・絶対ゆるせんじゃろ!!せめて「大島はいずれ取りかえっシャる!」・・くらいのセリフにせんかい!!来週から第何部?のスタートで小倉口の戦いらしい。そりゃ龍馬のドラマじゃけそうでしょうね~大島口の逆襲で長州に流れが決まった後の小倉の戦いなんぞは小さなことです。いやいや、みなさん龍馬伝を楽しみに見ていらっしゃるのに、、またまたイランことをいうてしもいもした。まーねー、こうやってパッシングするのも楽しくなくないわけではないけ―ねー^^。

  4. アレ? 呉の大和ミュージアム って、 あそこにあったアレじゃないの?  と思ったらやっぱり^^、さすがに去年のことですからね、 私でもまだ記憶に残ってましたよ。 あらら、 ウチとこにリンクも貼ってくださってありがとうございます。ウチラ戦争モンにはスルーな?人間なんで、 大和ミュージアムはさっさと素通りしましたよ。が、 戦艦陸奥、 じっくり見ましたが、カッコイイですね!!と言いながらも周防大島沖の謎の爆発・・・ が根底をながれているような・・・。さりげなく入ってる絵もうまい! まるで斜め前から見て描いてるような、思い入れある絵に見えます。 写真の中に色を添えています^^。小太郎さんの絵は、パソコンで描くからこんな画風なんですか?  水彩(油絵?)だとどんな感じなんでしょうネェ、見てみたい!おや、あきしお艦内の説明する人? 小太郎さん用に若い女性?  私らのときは私ら向きにおじさんだったなぁ。大島口の戦い、 ありましたねぇ・・・・ ん? 今なんて書いてあった? と思ってもう一度見ようと思ったら、もう次の場面でしたネェ・・・^^

  5. 海軍 軍港 戦艦 ううーーん どれを取っても耳からスルーと抜けてしまって、、、、、馴染のない言葉だけど戦争だけはもう嫌ですね。 吾が子が必ず死ぬと分っている特攻隊で、零戦ならまだしも回天はもし敵機に遭遇しなかったら最後は、燃料不足の酸素不足で死ぬわけでしょう。 戦争だからこんな非人道的なことが許されてしまったけど、絶対あってはならぬ事です。自衛隊が徴兵じゃなく傭兵制度になっているのは喜ばしいことです。 母親として吾が子を戦場に送るなんて想像しただけで嫌です。今の平和がいつまでも続くよう願うばかりです。ヤマトよりマグロがいいなぁ! これなら美味しいしどきどきしないからね。 mionちゃんは可愛いし、お腹一杯食べたかな。IHI造船所ってここにあるんだ。 清水の金指造船所は潰れかけて何とか持ち堪えているけどIHIってもとは石川島造船所って言ったかな?どうも、西は疎いわ。三輪自動車を「バタンコ」って言うのですか。知らなかった。 「ミゼット」ならわかるけど、そうかカーブでよく横転するからバタン バタンコなのかな?

  6. fujimさん こんにちはーてつのクジラ館の記事かってにリンクさせていただきました。どうもどうも^^。私は潜水艦に入れるとは知りませんでした。休みの日に予定が無いと大抵、近場のどっかに行こうかと思うのですが、そのネタは、おおかたテレビかラジオのローカル番組です。今回も呉の番組でしたね~大きな潜水艦が映っていて・・ありゃりゃ、あんなんが呉にあったかい??てなもんでした。 大和ミュージアムにも行ってないし、よし今回は呉にしよう!

  7. つづき・・それで「てつのクジラ館」に入ってみて気づきました。 そーいやーこの展示や感じ、どっかで見たような? そうか・・たしかfujimさんのブログにあったような??ほんで帰ってから確認しました。 カープ観戦の次の日に呉に行かれていましたね~そうそう・・呉に行ったのになんで大和Mの写真がないの?って不思議に思った。なるほど・・確かに戦争・・の展示館ですよね。私もこの年になると、ゼロ戦や回天を見ても・・これで遊覧飛行や海中散歩をしたわけじゃない。死ぬために乗ったんよな~・・と、切なくなりました。長くなるので、今日はこの辺にしときます。

  8. Pu’uwaiさん こんにちはー呉は海軍の街、大和ミュージアムも戦争の資料館・・なのでしょうが、、見に来る人、それぞれに感じ方があるのでしょう。呉では映画の「男たちの大和」とか「海猿」(海上保安庁の話だったかと思う)とかの舞台となってロケもやっています。大和Mというのは、その延長上のイメージで、単に戦艦大和の大きな模型があるくらいしか思ってませんでした。戦争の時代、大和も回天も、もはや必要なかったのに、建造して戦地に赴かせた。・・なんともfuさんやpuさんのおっしゃる言葉通りです・・ただただ、あの時代に生まれていなくてよかったと思うばかりです。つづく・・

  9. そちらはマグロの本場でしょう?清水に焼津といえばマグロでしょう?天然の本マグロの・・こっちは養殖のマグロですよ^^。 私はマグロよりも、大島の小鰯やキスの方がよっぽど好きです。バタンコはどんなやつかよー分からんのです?? ミゼットは今でも時々走ってません?カーブでよく横転するからバタン バタンコなのかな?・・って、puさん、座布団一枚!バタンコはなぜバタンコ??・・この手のことはやっぱ照れまんの蘊蓄でしょう^^。

  10. もしも~~し、こんにちはー!!どなたか、お呼びですか~~。バタバタ してたもんで・・・。カーブ で バタン とこけるから  バタンコ って 。 こらこら、車が コケて どうすんの?しかし、 Pu’uwaiさん 面白いから、私も 広島名物 「ためしてカンテン」 を差し上げます。しかし、昔はよくこけていたね。こけた奴をみんなで押して元に戻したら、また走ってた。頑丈なへこたれない奴でしたねえ。走る時のエンジンの音が バタバタバタバタ と言う感じ。それで、 通称 バタバタ という オート三輪。広島では 東洋工業が作ったオート三輪を バタンコ と呼んでいたので 広島以西 では バタンコ と呼ばれていた。オート三輪 も最初のうちは 本当に オートバイが3輪なって 荷台が付いているっていう感じでしたね。ミゼットというのは ダイハツ が作った 小型オート三輪の商標名ではないでしょうか?コメントが長すぎます・・・・って。 下の方をカットして ・・・・。じゃ、また・・・・。

  11. 照れまんさん こんにちはー久賀高のコメント入れてくれてたんですね~、しかし君はよう久賀のことを知っとるね~・・大島にいて、知らんかったらモグリってか??大浪君とか岸君とか、そりゃもう耳にタコですぃね。といいながら、全く頭に入ってないんよね~これが・・大浪君はnaoが高3の時に高1だったらしい。1年で四番を打ち、山口県一のバッターだったそうです。後輩なので大浪クンと云うんだと・・ただ、ピッチャーだったかどうかは知らないらしい。久賀高が甲子園に行った時の監督はもちろん大浪君だったそうです。大浪君はその後、山口の新興高の華陵高校の監督になって二度甲子園にいったよね。そうかー実業団野球部で1番バッターだったんか。 ドラフトにはかからんかったんだろうね。カープが獲ればよかったかもな~ 白武はよく覚えていますよ。地味な印象だけど・・1983年入団かー、もうそんな前だったんかね~広商の河本監督はよくNHKの高校野球の解説をやっていたでしょ?今もかなー?長いかな・・・っと!

  12. 小太郎さん こんにちはーお言葉ですが、私は久賀高校出身ではないので、久賀高のことはほとんど知りません。岸君って誰???誰???前にも fujimさんの所で書いたことがあるんだけどね、うちの 母は 学徒動員の 勤労奉仕隊で呉の海軍工廠の 広の工場に行ってました。呉が爆撃を受けた時、広の方には来なかったので助かったと言ってました。回天のエンジン部分のシリンダーを作っていたと言ってました。不良品が多くって 送り返されるたびに 叱られていたらしいけど、今になって思えば 不良品を沢山出してよかった なんて言ってましたよ。ちょっと、バタバタしてますが、今日のところは これで・・・・バタンコ。

  13. 小太郎さん みなさん こんばんはー私は昨日、 山口の亀山公園でウォーキング途中のご婦人に会ったのです。カメラを持ってぼんやり立ってたもので、 話しかけてこられました。で、 その話の中で 「まぁ! 宇部の方ですか。 私は宇部高女を出てるんです。 1年生はナンテラ (忘れた><) をして、2年生はナンテラの勤労奉仕、 3年の私たちは、 紡績工場で回天の左翼(?)を作ってたんですよ。」 と言われるのです。「回天!」 こんなはじめて来た小高い山の上で、 はじめて会った人から偶然にも、 小太郎さんのブログに出てきたばかりの回天 を作っていた話を聞くとは! と、唖然としました。そしたらここではまた、 エンジン部分のシリンダーを作っていたというお話!「不良品を沢山出してよかった なんて言ってましたよ。」 思い出しました、 前にどこかで聞きました!バタバタです。 バタバタとミゼットと原チャリは知っていますが、 バタンコや、 原チャなんて聞いたことはないし、牛丼も回転寿司も食べたことがありません。  留学生、外国の人でさえ食べてると言うのに・・・・。

  14. 照れまんさん こんばんはー岸君ではなく岸さんでした。こちらの方は先輩らしい。 久賀の岸砂利という会社知らん?彼も山口県一のバッターで、当時パリーグの有名な監督が度々久賀高に来ていたらしい。パリーグの監督って誰や?野村や金田ではない。ほんじゃ西本?迎木??・・とnaoに聞いても全く分からんようです。それより相撲よね。白鵬57連勝!不滅と思われた双葉山の69連勝を越える時、どんな騒ぎになるんかね??相撲はもはやモンゴルとロシアと・・そういえば、大鵬もロシア系のハーフだったな。ロシア系のハーフといえば夏の甲子園の太田幸二、私らと同級生よね。 あの夏の大会は忘れられん!・・また、話が脱線した。。

  15. fujimさん どうもー亀山公園といえばザビエル聖堂がある・・ということは五重塔に行かれた?昨日でしたかね~瑠璃光寺でfujimさまに会えるという特典つきの日は^^。ウォーキング途中のご婦人と立ち話!しかも初対面で回天の話が出るとは・・そのご婦人は運動が目的じゃなくて、話し相手を探すのが目的だったんでしょうね~^^。紡績工場で回天の左翼??何でしょうかね?シートか何かでしょうか??回天・・実物を見てゾッとしました。これにどうやって乗るの?寝て乗るしかないよな・・そういえば、春頃だったか徳山に行った帰り道に回天記念館の看板を見かけたのを思い出しました。徳山沖の島が回天の基地だったんですね~知りませんでした。回天とは天をまわす・・という意味で、敗戦濃厚な局面を少しでも好転させよう・・と、若い将校が発案したそうな・・ まさに狂気の時代ですよね・・牛丼も回転寿司も食べたことがない!! 牛丼はともかく、回る寿司を食べたことが無い??ふーむ、それはそれでスゴイことでしょう。

  16. 回天の左翼??と言ってるのに、 どうしてシートが出てくるの? とビックラしましたが、紡績と言えば糸、繊維、シート・・・シート以外はありそうにないですねぇ。 そうか素直な小太郎さんの方がまともやワネ!^^! 回天に翼はないんですかねぇ・・? じゃあ左舷?? とにかく聞いたときに私は、ああ左側の部分を造ってたのね、と思いました。fujipaの・・・・ 元へ、mypaの勤務先だった^^ゞ どちらも お父さん なモンで!!勤務先○○発酵では、終戦直前には、本来の業務ではなく、なんとお砂糖でこっそり飛行機用の油を作っていたのです。資源のない日本は、お砂糖を油にすることができるんだと、子供の頃知りました。紡績工場でもきっと、本来の仕事はそっちゃのけで、回天の一部分を造っていたのでしょう。照れまんさんのお母さんのところでは、シリンダーを、・・・ 部分ごとに各所で造られていたようにうかがい知れますね。そしてどこかに集められて完成だったんでしょうか。普通の学生がそんなことに携わってきた時代があったということです。 私よりホンのちょっと前の人たちの話です。

  17. fujimさん こんにちはー 亀山公園のウォーカーの話、キーワードは紡績工場・回天・左翼・・ですよね?その頃、学徒動員というと照れまんやコタロッチの母親と同世代?? 少なくても80歳は越えてますよね~なので、記憶も曖昧になるこもあるでしょう。私なんかもっとひどい^^。回天は写真のように翼はありません。海龍はヒレのようなものがありますね。 回天は文字通り人間魚雷で、魚雷に人間が乗って正確性を高める・・という発想で作られた。紡績工場だから糸とか布とかしか思いつきませんでしたが、戦時中には何を製造していたかは分かりませんよね?工場の設備を利用して金属の部品を作っていたかも知れない。そうするとシリンダーとかゼロ戦の翼の部品とか作っていた可能性もあるかも・・紡績工場というと・・思い浮かぶのは防府のカネボウと協和○○ですがどうでしょう?つづく・・

  18. 戦争の時代を語れる人はどんどん減っていきますよね。 私の父も戦争のことは多く語らなかった気がします。というか、聞かなかった??確か、兵長で朝鮮にいてケイジョウやヘイジョウの話と・・終戦は父島か母島で迎えたくらいで。親戚の叔父は(とっくに故人)シベリアに数年抑留された人で法事の席とかでよく話を聞きました。凄い話で感動ものだったけど、今はどんな話だったか・・サッパリ忘れてしまいました^^。(つくづく照れまん君を見習わんとイケんと思います)

  19. 行きました ここ。甥っ子が海自に入った年に。 父は 大和の一つ前 武蔵で南方(インドシナ)へ出征。マラリヤもらって終戦。艦載機のゼロも橘花も 乗ったそうな。燃料無かったから飛ばなかったけどと言っていましたよ。 やっぱり 語りたがらなかった。 今 甥っ子は 安全なはずの海を航行してるはず タブン。そういえば 北村薫氏の作品(ターン)の中に灘の辺りでしょうか 戦時中の学徒動員の様子や空襲の様子などが描かれていました。 氏は 芦屋という設定にしていましたが 東灘か灘辺りは今も 川重の工場が建ち並んでますから。風船爆弾作りっていうのもあったよね。 そんな時代は 二度と来て欲しくない。しかし 政府の弱腰は全く腹立たしい限りです!日本は滅多に 不買運動せんもんね。冷凍食品の時ぐらいやわ。あ 主婦としては生野菜も警戒しますよ。

  20. 猫と薔薇さん こんにちはー大和Mに来られたんですね。 じゃ、てつのくじら館も行かれたんでしょうね。海上自衛隊のことなら、くじら館ですから。戦争が終わって海軍は解散したけど、旧海軍の掃海部隊が日本近海の機雷除去を行った。終戦時には日本列島をぐるりと、それこそ星の数ほど機雷があったそうで・・つくづく、戦争とはすごいことをするものだと思いました。お父上の話、あの武蔵に乗っていたとはすごい!ゼロ戦はともかく橘花は知りませんでした。もうひとつ、北村薫も知りませんでした^^。推理作家ですかね~^^。灘・・といえば、阪神淡路大震災を思い出しますが、猫薔薇さんは経験されたんでしょうか?

小太郎 への返信 コメントをキャンセル